2007年06月15日

選択の季節

すごい久しぶりだ。残っててよかった。


去年の12月か、前回は。今年もそろそろ半分なのに、今年になって初の更新。

2学期を乗り越え、「トンマッコル」を勧めてくれた人のゼミを始め、私は二年生になった。


入学して1年経った。それは確実に過ぎた日々だ。毎日目の前のことに追われていても、実感が伴わなくても、それに必要なだけ賢くなった自信がなくても、三月に私は二十歳になり、大人になった。



何かを選択するということは、別の何かを選択しないということだ。

カードの山の中から、一枚抜き取る。

残りのカードの中には、その後でまた出会うものもあるだろう。引き返して拾うことも出来るものもあるだろう。でも中には、今一枚を抜き取った瞬間に灰となって消えるものもあるに違いないのだ。


私はまだ若いけれどきっとこの世は、すばらしいことが沢山ある。
抜き取ったカードはすばらしいことに出会わせてくれるだろうと思う。
灰となったカードが出会わせてくれたはずのすばらしいことに出会えないかわりに。


そういうのはある意味残酷で、つらく切ないことだ。

それでも私は選択しなくてはならない。




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2006年12月20日

文字の風と映像の波

近況報告のみ。
27日の遅めの便で帰郷します。

学校は22まで。中国語のテストとその他レポート。

最近読んだ本で言えば
島本理生の「ナラタージュ」を読みましたが、体力の落ちた私にとっては読後感最悪でした。
でも、『もっと辛い状況で頑張っている人がいるのだから頑張りなさいというのは間違っている。幸せというものは相対化するものじゃない』という主旨の言葉には何となく共感しました。

本人が自分から頑張ろう、と思うのは良いと思う。だけど、他人が頑張れというのにその理由は使えないと私は思う。

例えば親を交通事故で亡くす、という共通の状況であっても、その悲しみや辛さは人それぞれのものだ。

何がどれだけ辛いかなんて本人にしかわからない。

私たちは他人の痛みを本当には理解することは出来ないし、だから軽く見ることもするべきじゃない。

それでも理解しようとすることは大事で、そうすることで、もしかしたら偶然にも痛みを軽くすることができるかもしれないのだと思う。



「いくつもの週末」江國香織 世界文化社
エッセイ。ごはんについてかかれたものが特に印象的だった。


ほかにも池波正太郎や陳舜臣、星新一、藤沢周平など借りたんだけど読めずに返してしまった。


「トンマッコルへようこそ」という映画を先週見た。これはよかった。でも映画だから感想は語らないでおく。


DVDも最近見ていて「有頂天ホテル」「嫌われ松子の一生」「ナルニア国物語」などなど。


冬休み中は微生物と生命科学に関する本が読みたい。
あとは料理。

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2006年11月06日

生き死にとそのあいだ、線上にいるもの

すみません、結局一ヶ月経ってますが未だにイタリア旅行について書いてないという…

とりあえず今週末、所属しているサークルの対外公演が終わるまでは忙しいんです。シェイクスピア。(なんか今週のぴあにものってるらしい)今週金土日なんで。
イタリアはまた後日。…いや、いつかは書くよ?多分、…今年中には。


忙しいとかなんとか言いながら、最近また風邪で寝込んでいたんで本はなかなか読めた。この調子で来週大学での公演がおわってから読書量ペースを戻したいんだよね。春から読めてないから。

忘れないうちに羅列しておく。

今回のおすすめ。「しゃばけ」畠中恵

日本橋の大店の病弱な若だんなが、周りの妖達の助けもかりて事件を解決して行く話。
可愛らしい話だった。気分が変わってすごく良い。面白いというか、私好みの世界だったからだと思うけど。以下、「ぬしさまへ」「ねこのばば」「おまけのこ」「うそうそ」
一気に読む。若だんなが妖にあげてる食べ物もおいしそう。



「ドミノ」恩田陸 うーんいまいち。
「三月は深き紅の淵を」恩田陸 読んでる途中
「女系家族」山崎豊子 読んでる途中

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2006年09月29日

過去を向く街

今日から行ってきます。


ずっと行きたかったイタリア。

考えたら、このブログでも「かつて首に…」の時にはすでにイタリア行きたいって言ってますね。うん。


フィレンツェを重点的にまわるつもり。


滞在は短めだけど、ヨーロッパは初めてだし、イタリアへの旅も当然これを最後にするつもりもないので、肩慣らしのつもりで。


旅の道連れは勿論、『冷静と情熱のあいだ』。


芸術と歴史の街。
世界の芸術品の半分以上はイタリアにあると言われる。
そのイタリアの芸術の中心、フィレンツェ。


過去を向いている街。



わかってる。

たかだか十九年の過去しか持たない私に敵いっこないことは。


でも、その十九年、私には私なりの、ドラマが確かにあった。


この「不思議な街」東京にたどり着くまでに、色々なことがあったのだ、ちゃんと。


雄大な過去を持ち、歴史を見つめてきた街が、私にとって人生を振り返る、良いターニングポイントになってほしい。




帰ってくるのは5日の午前頃になります。

書類上は再入国、感覚としては帰国だけど。


帰ったらすぐ学校だね。


帰って七日はサークルに行くけど、日曜日はあいてるはずだから。

また連絡する。



大丈夫だよ。
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2006年09月24日

彼女は瞼の裏に

入管に行ってきました。


品川駅からバスで十分くらいかな。


区役所でも思ったけど、

Lさんって呼ばれるんだよね。私。


本名だから仕方ないんだけど。



L・W。
書類上の私の本当の名。


私にとっては全く呼ばれ慣れていない名だ。
周りのどんな人も、その名で私を呼ぶことはない。



私にとってL・Wは、どこか他人の名のような気がしている。

でも確実に、彼女は私なのだ。



それが、ことあるごとに私の人生の中で突きつけられる。





役所は、国家という組織の象徴だ。


入国管理局は私にとって、この国の内側に向いた姿勢そのものだと感じられた。



内部のものを守るということは、その外のものを拒絶するということでもある。



…例えばつまり、…悪から人々を守るヒーローは格好良かったけれど……、実際には悪がどちらかなんて、そう簡単には決められないのだということを、大人になった私達は知る。自分を正義の味方だと思っているのは、相手も同じなのかもしれないのだ。



本当は、正義も悪もない、ただお互いに、自分の大切なものを傷つけられるのが怖くて、必死にそれを守ろうとしている、そういう場合の方続きを読む
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2006年09月19日

誰か…

やばい、すごい頭痛する…
イライラする。

精神的なものかと思ってたんだけど、

頭痛のひどさの方が増してきた。

隣の部屋の人が階段を登ってくる音が頭に響いて、頭割れそう。


頭痛薬…


飲んで寝るから。大丈夫。
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2006年09月16日

生か死か。それが問題だ

最近、友達の愚痴を聞いていて、自分でも疲れてしまっていたことに気づいたので、気分を変えようと思ってDVDを借りてきて見てました。今週で四本くらい見たかな。


お芝居って、色々、考えさせられる。






これから自分が自分の大切な人に、きっと迷惑をかけると知った時、人はどうするか。


迷惑をかけてもそばにいるか、





迷惑をかけるくらいなら消えるか。





少し前の私なら、相手にどんなに迷惑でもそばにいる方を選んだだろう。




今の私なら、消える方を選ぶと思う。





この問いにも、正しい答えは見つからない。




ただこの場合、どちらにしても、私は我が侭なのだと思う。






作り物の世界でも、現実に役立つ様々なことを教えてくれるのだと思う。

私にはまだまだ、修行が足りないのかな。


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2006年09月09日

一次元文字情報と蛋白質

旅行に行くのが大分遅れることになりました。飛行機が異常に込んでいて。サークルの先輩達に迷惑をかけてしまって、ちょっと申し訳なかった。


テストが終わった次の日に、Oちゃんと遊びました。家の近辺と、その後下北沢に行った。実は友達とゆっくり遊びに行くのはかなり久しぶりだったので、すごく楽しかったー。


友達と遊ぶのって、行くつもりのところが閉まってたらとか、思ったより歩かなきゃならなかったらとか、けっこう緊張する時があるんだけど、彼女とはそんなこともなく、貴重な話が沢山できて嬉しかった。


私が浪人して高校の友達は学年が一つ上だから、その分大人にも近いわけで、将来について私よりずっと真剣に考えているなぁ、と思った。
もちろんそれは、学年のせいだけじゃなく、私がもっと考えなきゃいけないところを、放棄してるだけなんだろうけど。


すごく、勉強になった。
夏休みは思ったより高校の友達と会えなかったから、冬の成人式を楽しみにしてたい。


最近暗くなってたから本当にありがたかった。


広い世界が知りたくてここまで来たのに、ダメだなぁ、私。がんばんなきゃ。


国立図書館にでも行こうかな。



因みに、「翔ぶがごとく」は、まだ全然読み終ってない。


…やっぱ、図書館行こう。



そうだ、近いうちに、去年からファンになってる久石譲について熱く語ります。
posted by キスケ at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月29日

こぼれたミルク

何とか熱力をやってたら少し元気が出てきました。



小さい頃から高二までやってた国際交流と英語劇をする団体の知り合いから連絡がきて、その関係で、今増えてるMのつくあれを始めることになりました。冬にその団体の何周年だかの記念パーティみたいなのがあって、何かそれを使ってそのための話し合いをするらしい。昨日パソコンのアドレスを送ったところ。
実はあれあんまりしたくもなかった気がするなぁ。色々面倒な感じで。ま、仕方ない。



昨日今日と涼しくて窓を開けてるとちょっと半袖じゃ夜は寒く感じるくらい。こうやって十代最後の夏は過ぎていくんだって思ったらちょっと哀しい気持ち。



気晴らしにお風呂でオセロウを読みました。日本語でだけど。




昔は相手に自分を信じて貰いたくて必死だったはずなのに。




哀れなオセロウ。どうして恋人をこそ信じられなかったんだろう。


誰よりも愛していたデズデモウナより、部下の言葉を信じてしまったオセロウ。



オセロウは自信がなかったのかもしれない。


信じ抜くにはデズデモウナが美しすぎて、かけがえがなさすぎて、自分を愛してくれていることが、すごく幸せで、信じられないくらい幸せで、


自分の過去の冒険話を、熱心に聴きたがったデズデモウナ、黒人の自分を愛してくれたデズデモウナ、誰よりも愛するデズデモウナ。
愛している分だけ、失うことへの恐怖も大きかったはずだ。

自分の愛の激しさは自分の心臓によって日々思い知らされるのに、求める相手からの愛はいくら確認しても足りることはない。




オセロウはデズデモウナの美しさを誰よりも知っていたのだ。




しかし、だからといってオセロウは赦されない。オセロウは美しく優しい、罪のないデズデモウナを殺してしまった。





真相と自分の愚かさを知ったオセロウは自分で自分に裁きを与えた。







オセロウは信じるべきだったんだろう。デズデモウナを、彼女を愛するのと同じくらいに。


信じるべきだった。

posted by キスケ at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

風に

頼むから友達はスルーで。自己分析したいだけだし。









久しぶりに一年前からの自分が書いてきたこと読んだら、
何 知ったかぶってるんだろう
って思う。

薄っペらい知識得ていい気になって、もっと頑張らなきゃとか、できるだけのことがしたいとか言って、全然何もわかってない。

いい子ぶってる。子供の頃に言われたように。
勉強なんてしてないで何か得るべきことがあったんじゃないか。

そうやって迷いながらも、心のどこかで頑張る私ってやっぱりエラいって思ったりする。


そういうのを、…自分のごう慢さに気付かせてくれ、逆に私が知識を得た結果考えたことを肯定してくれた。

そういうことを普段、話をしてる中で自然にしてくれた。

私が一番辛かった頃に世界を広げてくれたのも、必要な時に突き放してくれたのも、感謝しきれないくらい。

それだけでも十分なのに、今、また一緒にいて教えられることが常にある。

ちゃんと考えて、叱ってくれた。

こんな人は一人だ。






親のせいにしたいわけじゃなく、自己分析すると、私は自分を肯定してもらうことを異常なくらい欲してる。これは子供の頃の反動でもあると思う。
子供の頃は、私を認める人が誰もいなかったから、自我自賛がくせになった。認めさせたくて成績を上げた。自分で自分を肯定し続けた。
でもそれはごう慢さでもあった。
大人になろうとごう慢さを手放そうとしたからか、それとも、自分で自分をほめることが滑稽で、実は根拠なんてないんだと気付いたからか、私は一人ではいられなくなった。


それは大切な人を大切にしたい気持ちとは全く別のところにある。

自分を肯定してくれるなら、それが誰でも嬉しい。叩かれたり殴られたり酷い言葉を浴びせられたりした過去の夢を見た後、無性に会いたくなる誰かは、誰でもいいのかもしれない。


けど、安心も新鮮さも愛しさも、全部を両立させて持っていられる相手は一人だけだった。



確かに他にもそういう人はまだ会ってないだけでいるのかもしれない。

それでも今まで一緒にいてくれた人の貴重さははっきりわかる。

こんなふうに思える人に、人生でもしもう一度会えたら、私はきっとものすごく幸運なんだろうって思う。
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posted by キスケ at 13:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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